第20回桜丘学園東日本大震災復興支援行動に参加しました。

桜丘学園はこれまで雲仙普賢岳火砕流、阪神淡路大震災、中越地震、岡崎大水害等々、先輩から脈々と受け継がれてきた支援活動をしています。6年前の東日本大震災から、現在も毎月11日に豊橋駅前で支援金募金活動を実施しています。そして、これまでに計19回の気仙沼市内等でのボランティア活動に出かけてきました。今回の12月22日から25日の活動内容は、気仙沼でのボランティア、復興住宅でのクリスマス会、清掃活動、大島での体験講座等を行ってきました。今回の活動に中学3年女子2名が参加しました。1月10日の始業式後に全校生徒の前で活動の報告をしてくれました。その内容を紹介します。

私はこの冬休み、12月22日から25日にかけて、宮城県の気仙沼に行ってきました。気仙沼という名前はほとんどの人が聞いたことがあると思います。気仙沼は、東日本大震災で特に津波の被害が大きかった港町です。当時のメディアなどで大きく取り上げられ、私も名前は知っていたものの実際に現場に行ったのは初めてでした。

小学校のときに見たニュースでは、気仙沼にたくさんの人がボランティアで訪れていたのですが、約7年が経った今は他県から来るボランティアの人はとても少なくなっていました。また、地震発生直後百人以上のスタッフがいたという気仙沼復興事務局も2人にまでスタッフが減少していました。それは決して復興したというわけではありません。例えば清掃に行った海岸は、元はコンクリートの道路だったそうなのですが、砂浜などではなくたくさんの砂利の中に網やロープが埋まっていて、そこに流れ戻ったゴミが散らばっている、そんな場所でした。

約7年が経った今でもまだゴミが流れ戻ってくるそうで、その中には自動販売機の一部など大きいものもあり、津波のおそろしさに少し触れられたような気がします。それに、復興というのは目で見える変化だけではありません。災害復興住宅に行っておばあさんと話をしたとき、あまり震災のことを話したがらず、まだ傷は癒されていないんだなぁと実感しました。震災前は旅館をきりもりしていたというおばあさんは津波で建物ごと全部流されてしまったそうです。悔しいと何度も繰り返していました。

皆さんは復興は終わったと決めつけてはいませんか。約7年が経った今だからこそやれること、求められていることがあります。それは現地に行ってできることももちろんあると思いますが、一番大切なのは、やはり東日本大震災を忘れないこと、忘れさせないことです。なにも気仙沼に限ったことではありません。2年前に行った宮城県山元町もまた、目に見える復興は進んでいても、心の面はまだまだでした。東日本大震災の被災地全体で共通していることなのだと思います。だからこそ、今もう一度東日本大震災について考えてみませんか。